フレンチ・リッジ・ハットの朝は早い。氷河登攀は暖かくなると危険なため、早めの出発が肝心なのだ。そこで皆5時半頃に起き始め、まだ暗いうちから出かける支度を始める。空を見ると星が綺麗に見えているので、今日は良い天気のようだ。
多くのパーティーは6時半頃には出発したが、我々は7時前の出発となった。周囲を見渡すと、朝焼けに映える山々が美しい。特に、昨日はほとんど見られなかったリバプール山(Mt Liverpool:2482m)とバーフ山(Mt Barff:2252m)が印象的だ。

リバプール山 (左) とバーフ山 (右)

マツキツキ渓谷源流方面の眺望
しばらく岩場を登っていくと、徐々に雪が目立ち始め、やがて雪渓を登るようになる。一部のパーティーは既にアイゼンなどを装着し始めていたが、我々はそのまましばらく雪の緩斜面を登っていき、急登が始まる前の岩場にたどり着いた。そして、ここで雪山用の装備を整え、ザイルをつないで再出発となった。

ザイルをつないで登攀開始!
眼前にはフレンチ・リッジの険しい氷壁が立ちはだかっているが、そこに向けて淡々と登っていく。最初はそれほど急ではなく、隠れクレバスなどもないようで安心だ。ガイドに続いて(ザイルをつないでいる以上)一定の距離を維持しながら進むが、周りでは5つぐらいのパーティーが同様にして登っていた。
30分ほど登ると、突如大きな口を開けたクレバスが出現した。先に歩いていたパーティーは、ここで通過できるルートがないかと立ち往生している。我々も、まず左手を捜してみるが、ここは極めて難しいので無理だという(1つのパーティーが挑戦するが、まもなく断念)。そこで右手に回って岩伝いに歩こうとするも、岩にたどり着く前の氷が薄くなっているため、渡るのはとても危険だ。
唯一、そのすぐ左に幅1mもないほどのブリッジがあるが、ここも決して楽ではないし、その先はかなりの急登を強いられる。だがここ以外道はないので、まず他のパーティーがアタックを開始し、命綱を頼りに、ピッケルを打ちつけながら慎重に登っていく。幸いブリッジは問題ないようで、アイゼンで足場を確保し、ピッケルを使って慎重に登れば大丈夫そうだ。
我々は3番目のアタックとなったが、まずマーチンが登って、ザイルで安全を確保してから私が登る。正直かなり怖い思いをするが、慎重に、慎重に氷雪を登っていくと、どうにか最難関を突破することができた。気がつけば1パーティーはここで断念して引き返していったが、後は気を引き締めてしばしの登りをこなすと、まもなくフレンチ・リッジの最上部に到達するのだった。

ロブロイ・ピークを望む

氷河の急登をこなす
リッジの最上部(標高2290m)に登りつめると、突然視界が開けて、一面銀世界の大パノラマが広がった。険しい姿を見せるアバランチ山、広大なボナー氷河、そしてそれに抱かれて箱舟のようにも見える秀峰・アスパイアリング山が眼前にある! ついに夢にまで見た光景を、実際に目の当たりにできたのだ。ただただ感動だ。

アバランチ山

ボナー氷河越しのアスパイアリング山
振り返れば、周辺の山々の展望も素晴らしい。見渡す限りの氷河峰の大展望に、他の人たちも皆満足げだ。これだけの景色が見られるのは、NZではおそらくマウント・クック周辺とここだけだろう。とにかくすごい風景である。ここまで苦労して来た甲斐があった、と思わずにはいられなかった。

エドワード山 (左) にリバプール山 (中央) 、バーフ山 (右) など

フレンチ・リッジ上部の奇氷
ここで感動に浸るのも結構だったが、後30分も歩けばフレンチ山の頂上にたどり着けるので、休憩もそこそこに、他のパーティーと別れてフレンチ山に向かう。最初は楽な雪道であったが、やがて片方が完全に切れ落ち、もう片方もかなりの斜面となった危険な氷雪の上を進んでいく。足場を固めながら登っていくが、これは結構怖い(足を滑らせたらお仕舞いだ)。

フレンチ山の稜線

稜線から来し方を振り返る
ここを慎重に登ると、まもなく頂上に到達。麗しのアスパイアリング山はもう目の前に迫り、美しい姿を見せてくれている。眼下に目を下ろすと、先ほどまで一緒だった人たちがボナー氷河上を歩く姿が(小さく)見て取れる。反対側にはマツキツキ渓谷の大展望が広がっている。思わず「アスパイアリング!」と叫びたくなるような光景だ。ここで当然のごとく休憩し、辺りの大展望にしばし酔いしれるのであった。

アスパイアリング山

ボナー氷河とアバランチ山

マツキツキ渓谷源流を見下ろす
30分ほど大展望を満喫したら、そろそろ雪も緩んでくるので、後ろ髪を引かれながらも帰途につく(別のパーティーがこちらに向かっていたが、足取りが遅いようなのでスタートした)。下りは私が先頭を歩くが、切れ落ちた雪の斜面を下っていくのはかなり怖い。しかも雪は着実に緩み始めており、とても滑りやすくなっている。一歩一歩確実に歩を進めながら、慎重に下っていく。
やがて先のパーティーと交差し、少し話をした後再び慎重に下って、どうにか厳しい部分は突破した。後はなだらかな斜面を適当に歩いて、リッジの最上部に帰着。そして、この大展望を名残惜しみながら、リッジを下っていくのだった。
しばらく下り、再びあの急斜面に差しかかると、今度は斜面側に向き直り、ピッケルを打ちつけながら、一歩一歩足場を確保して下っていく。上ではマーチンがロープで安全を確保してくれているものの、崖のような氷壁を見ながら下っていくのは結構勇気がいる。
こうして無事に最難関を下り終えると、すぐ下で眺めていたカップルが拍手して「よくやった」と言ってくれる(この人たちは結局ここで断念して引き返すそうだが、しばしのんびりするらしい)。そして、マーチンも首尾よく突破したらさらに下り、朝装備を整えた岩場で休憩することにした。

フレンチ・リッジとフレンチ山

カスケード・サドル方面の展望

アバランチ山と迫る氷河
岩場まで難なく下ったら、雪山用の装備を外し、辺りの大展望を楽しんだ後、再びハットへと下っていく。マーチンは下りが得意なのか、雪渓を利用して走り下るが、私は雪下りが不得意なので、置いていかれる…それでもハットには30分も経たずに到着。既に午後2時頃となっていたが、ここで遅めの昼食を取った。
トレッキング用の装備に替えてハットを発ったのは3時過ぎだったが、一部で雲が出てきたものの、いまだ展望は素晴らしいものがあった。特にアバランチ山の美しい姿は下るにつれて徐々に露わになり、マツキツキ渓谷の展望もまた良い。やがて森林限界に到達すると悪路が待ち構えていたが、昨日に比べれば楽なものだ。少々手こずりながらも無事に突破し、ハットから1時間半ほどで川岸にたどり着くことができた。
パール・フラットでは、もう遠回りをするのは嫌だということで、マツキツキ川を渡渉していく。靴を脱いで挑戦するが、その段階でサンドフライに襲われるし、川の水はとても冷たくて足の感覚が麻痺しそうになるしで大変であった。
ここを越えると、後はショベル・フラットまで30分ほどの快適な谷歩きが続く。振り返れば、マツキツキ川源流の上にアスパイアリング山が顔を覗かせている。そして、本日宿泊のアバランチ・ロッジからはアスパイアリング山が見渡せ、食事をしながら夕陽に染まっていくアスパイアリング山の姿を拝むことができた。
それにしても、なんて素晴らしい1日だったろう。長い1日には違いなかったが、これだけ充実した日はそうはない。さすがに少々疲れたので、陽が沈むと直ちに床に就いたのであった(が、翌日聞いたところによると、この後アスパイアリング山の横に月が現れて、それはそれは美しい光景だったらしい…)。

アバランチ山と氷河の全貌

マツキツキ渓谷の展望

ショベル・フラットからの眺望

アスパイアリング山の夕焼け