魚崎小学校は“美化委員会”が活発に活動しているらしく、校舎のまわりにはいくつもの鉢植えがありました。例年ならきれいに咲き揃っているであろう植物たちは、世話する人がいないためか、元気がなく、水が切れてしおれていたり、球根がひっくり返って曲がって伸びていたりしました。何かかわいそうになって球根を植え直したり、雑草を引いたり、貴重品の水を遠慮がちに与えてみたりしてしまいました。
私が神戸に行ったのは、震災からおよそ1ヵ月後で、避難所での人々の生活は落ち着き始めているようでした。食事も、炊き出しの回数が増え、お風呂や洗濯機も、制限はあるものの、使えるようになりました。先人の苦労もあり、老人の介護もより確実になってきていました。つまり、生きるか死ぬかギリギリの段階は既に過ぎ、日常生活により近づけようとする時期に来ていることが実感されました。
とはいっても、日常生活に近づく大前提である“家”がないのです。仮設住宅にしても、ほとんどの人がまだ入居予定すらできていません。「(隣の家族の)犬と生活の場を同じにしたくない」「他の家族と、せめて‘ついたて’ででも良いから仕切ってもらえないだろうか」プライバシーを取り戻したい要望が日々強まっているように見受けられました。
仮設住宅ができないことには、この問題は完全には解決しません。しかし、仮設住宅についてはお役所に任せる以外にありません。ただし、住宅に入れるまで、住民の方の気持ちを少しでも楽にしたり、復興への意欲を出してもらったりと、トラブルを少しでも軽減することは、ボランティアとして挑戦してみる価値があると思います。続々と出てくる要望に関しては、住民(の代表)も交えて判断し、必要だが資金不足なら、募金などを行なってみたらと思います。時々は、イベントなどを開いてみたら、少しは気分が晴れるかもしれません。トラブルについても、機械的に判断するのではなく、とりあえず状況を受け止めて、双方の立場を理解すれば、より良い解決策が見つかるかも知れません。「言うは易く行なうは難し」で、ボランティアにも相当の柔軟性と心のゆとりが要求されると思いますが、今一番被災者から求められているのはそういうことではないでしょうか。
寒さも次第にやわらぎ、神戸も少しは過ごしやすくなってきていることと思います。植え直した球根の芽も大きくなって、つぼみが見え始めているかもしれません。春は確実に近づいています。