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連隊館震災ボランティア第 II 部 ボランティアを体験して
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震災ボランティア:第 II 部 ボランティアを体験して

55歳のボランティア体験

S.Y.(2/11~2/21)

 押さえ切れない思い

 50代半ばになって、なぜボランティアをやろうという気になったのだろうか。

 2年前にサラリーマン生活から完全に足を洗い、以後100%自由な時間を各種の公開講座やシンポジウムなどに参加して知的生活に満足を求めつつも、心のどこかに空虚感は否めず、行動を伴わない思考からの脱却を願う気持ちは日増しに強くなっていった。

 一方で、ボランティアなんて、しょせん偽善者、自己満足、あるいは行政の人件費節減の肩代わりをやらされるお人好し、などなどの疑問ないし内的葛藤が決心を鈍らせていたし、今も払拭できていないが、にもかかわらず飛び込む気になったのは、実家が神戸と西宮にあり、ふるさとが壊滅的状態になっているのを目のあたりにしては、内的葛藤などは実に小事でしかなく、今何かやれることをやらねば一生後悔し、今後一切行動に踏み切れなくなるのではないか、という焦りにも似た気持ちを押さえ切れなくなったからだと思う。

 ファミリー国立との出会い

 震災後すぐ西宮市のボランティア募集に応募したが、1週間経っても呼び出しがかからず、やむなく1月27日に第1回目の現地入りをし、市のボランティア窓口に出向いたが、行政窓口は機能麻痺の状態で、4千人という膨大なボランティア・リストを持ちながら、各避難所からの様々なニーズを適確に把握した上でボランティアを適宜送り込む態勢になっていないため、個人参加のボランティアは、窓口で長時間待たされた挙句、おこぼれ頂戴的にどこかの避難所から声がかかったら出向き、もし声がかからないと1日待ちぼうけという、極めて効率の悪い状況にあった。

 そこから得た教訓として、今後は上記のように1人で来て待機を続けるか、直接避難所に出向き無理に居させてもらって簡単な手作業に従事するか、あるいはどこかのボランティア・グループの一員として参加して、自立までの道程に企画段階から参画し、多面的に被災者の人々と手を携えて歩むか、の選択をすべきだが、私としては第3の道がベストだとの結論に達した。

 たまたま帰宅してファミリー国立の募集記事を読み、本当に自分が役に立てるかどうか不安ではあったが、とりあえず応募し、年長者ということで現地のコーディネーターという立場で第2回目の現地入りをしたのが2月11日で、それがファミリーとの出会いであった。

 飛び入りの個人参加で、例えば食事や物資の搬入・配布、掃除の手伝い、あるいは子供の遊び相手などの活動も大事なことではあるが、本部および被災者との強い信頼関係の下、喜び、悲しみをともにして一体感を分かち合えるには、長期派遣を約束し、その見返りとして重要な仕事(例えば在宅ケア)を任されるグループ参加が正しい選択であったと、自立への目途がほぼついた現在、これまでの2ヵ月を省みて確信しているし、そういう機会を与えてくれたファミリー国立に心から感謝している。

 現地で活動して

 ボランティアとは何か、どうあるべきか、などについては、人それぞれに思いがあり、参加した人々の経験や考え方もまちまちであり、今回の体験を踏まえた上での評価もまちまちであろうが、私の場合は、魚崎小での10日間ばかりの活動が終わった時点では、良かった、悪かった、というより、正直疲れたないし難しかった、というのが実感であった。

 ただ、頭でいくら考えてもそれ以上のものは出てこず、行動を伴った思考は結果いかんにかかわらずそれなりの意味はあろうし、人生に逃避的な自分には1つの壁を何とか乗り越えた、という達成感ないし自己満足はあった。

 これで、今後の人生では逃げ回らずに多少楽に行動に踏み切れるのではないかと感じている。

 現実に避難所で私がやったことは、魚崎小対策本部や国立本部との連絡、打ち合わせや報告、仕事の割り振り、ミーティングの司会等々の調製機能であったため、他のファミリーのメンバーの様に、苦労もあるが感動的な場面に直面するという、ボランティアとして最もやり甲斐や喜びを感じる瞬間にぶつかることは少なかったが、それでも、被災者の何人かの人から、涙ながらに感謝されたり、かわいい娘ができたり等、生涯忘れ得ぬ良き思い出がいくつかでき、冷静にあの10日間を振り返る時、やはり参加して良かったと実感している。

 ただ、現地で被災者の人々の生活に身近に接しながら感じていたことは、感動や喜びよりはむしろ以下の様な無力感、絶望感であった。


(1) 地震発生まで、自分たちより豊かで幸せな毎日を送ってこられたであろう人々が、パン1枚、牛乳1本をもらうために、あの寒空の下で1時間も並んで待つ屈辱感・不条理に、自分はいかに同情し、いかに同じ気持ちになろうとしても、決してなりきれないだろう。
  その無念さ、将来への不安、家族を失ったりケガをされた人の悲しみには、内面的には、何の役にも立ち得ないだろう。
  ボランティアとして何かをやりながら、感謝されたり喜んだりする資格はあるのだろうか、という疑問。

(2) それまで、家族1人1人が個室を持ち、十分にプライバシーを守りながら自分の人生をエンジョイしてきた人々が、突然の自然災害により、50人、100人が全く仕切りもない体育館や講堂で100%プライバシーのない生活を何ヵ月も送ることを余儀なくされることからくるストレス、不満、怒りに、いくら声をかけても、本当の意味で何の慰めにも、何の役にも立たないのではないか、という無力感。

(3) 救援物資配布の際、家が全壊ないし全焼した人こそ、最も受け取る資格がありながら、狭い避難所では置く場所もないため、あきらめて最小限の物にとどめているのに反し、近隣でさほどの被害を受けていない人が大手を振って大量の物資を持ち帰るのを見て、歯がみしながら怒りを漏らす避難所の人々を見るにつけ、こういう極限状態では人間の本性が見えるものだ、という思いと、自分たちボランティアは、そういう人々の行動や怒りに対ししょせんアウトサイダーにしかすぎず、何の役にも立てないのではないか、という絶望感。


 ただ、自分が将来万一同じような局面で当事者となった場合には、人間としての節度を保ちたい、と堅く心に誓った。

 一方で前述のように人間のエゴも見たが、他方であれだけの極限に近い状態に置かれながら、大多数の人々は実に冷静で思いやりもあり、相互に譲り合いの姿勢を示しておられるのを見て、「人間は素晴らしい存在だ」という救われる思いに至った経験も多々あり、大変感動した。

 また、個人参加のボランティアの若者で、日中重労働の給水作業を黙々とこなし、早朝には1人でゴミを拾い、夜は自警団に加わり夜警を勤めるなど、超人的とも思える活動をしながら、あくまで控え目な態度を崩さない人がいたが、これぞ真のボランティアの姿なのだろう、世の中にはこんな素晴らしい人がいるのだと心から感銘し、頭の下がる思いであった。

 自立への道

 こういう様々な思いが交錯しながらも、震災からほぼ2ヵ月が経ち、仮設住宅への移転も始まり、自立への目途が付き出した3月12日に催された「せせらぎ祭り」に5千人を越える人々が明るい表情で参加し、本部やボランティアの人たちと楽しげな一時を過ごしておられる様子を拝見して、地震発生-緊急避難-復旧・復興努力-自立、という1つの抒情詩とも言うべき道程に、ファミリー国立が対策本部の1つの柱として参加させてもらい、喜び、悲しみ、怒りながらも、他の避難所よりも間違いなく早期に自立を達成することにわずかでも貢献できたことに、ファミリーの一員として喜びと誇りを感じている。

 ただ、自立への道は決して平坦ではなかった。

 現地に落ち着きと自立への見通しが付き出した今となっては、冷静に判断も批判もできるが、私が手伝いをした2月11日から21日までの11日間には、被災後1ヵ月という節目を迎え、かつ学校の再開(2月13日)に伴う様々な作業が集中し、文字通り毎日が戦争という言葉がぴったりのパニック状態であった。

 それは避難している人々もそうだし、対策本部も、ボランティアたる松下グループも、我々ファミリー国立も同様であった。そのため、緊張と疲労の蓄積から、必然的にちょっとしたことで感情的になったり衝突もした。

 同じ被災者間でも、対策本部と自警団との間の方針の違いが感情的なしこりとなり、またせっかく作った自治会が稼働せず、さらに行政が相変わらず機能麻痺の状態の中では、被災者からの不満や欲求の高まりにとても応えきれず、とりわけ食事供給のあり方、校内外のケア対象者へのアテンド、さらには治安維持策を巡り、混乱は不可避であった。

 こうしたボランティアをも含めた当事者間の非難・中傷や内部分裂につながりかねない発言が直接・間接的に聞こえてきたりと、様々な人間模様が浮き彫りとなり、若いボランティアの人たちはショックを受けたであろうが、それはまさに極限状態の中での人間社会の縮図であり、短期間に多くの人生経験を集中的に学んだことをポジティブに考え、この経験を今後の人生にぜひプラスに生かしてほしいと思う。

 被災者の中には、個人的に冷遇されたり本部のやり方に反発を感じたりする人もいたであろうし、ボランティアの中にも、やりたいことをやらせてもらえないとか、本部の判断や指示の仕方、あるいは高圧的な態度に反発したり悩んだりしつつ帰京された人も多いと思うし、私自身全てを投げ捨てて帰ろうと思うぐらい腹立たしい思いもしたが、他に逃げ場のない地元ボランティア(本部長やそのスタッフ、あるいは自警団の人々)からすれば、いつその活動をストップするか分からない遠隔地から来ているファミリーのようなボランティアに大切な仕事を完全に委ねることに多大の懸念を抱いていたであろうし、特に行政が正常な機能を取り戻していつでもボランティアからバトンタッチを受けられる見通しがつくまでは、在宅ケアという、個人のプライバシーが絡み非常にセンシティブな仕事に、ボランティアが安易にコミットし過ぎることを警戒するのは止むを得なかったものと思われる。

 行政の正常化および校内の自治組織が稼働するまでは、対策本部が行政の代替機能を果たさざるを得ないし、ファミリーが本部との協調路線を取る以上、本来行政がやるべきことの一端を担うことも当然の結果であった。

 1つの組織が統一目標を持って立ち上がるか否かで、結果は大いに異なってくる。そうした効率追求とも言える企業経営的発想には抵抗感はあろうし、本来ボランティア活動とはそういうものと異質の「弱者救済」ないし「もっと楽しく気楽な活動」という批判もあるだろうが、500人を越える人々に1日でも早く自立してもらうという統一目標の達成のためには、一糸乱れぬ統制と協働が不可欠であり、本部の強権発動的な言動や本部方針に納得できなければ出ていってもらって結構という姿勢を、ファミリーとしては受け入れざるを得なかったし、それが正しい結果を生んだと思う。

 水道・ガスの復旧の見通しに合わせ、かつ救援活動の先細りを展望して、3月13日以降、校外被災者への食事供給ストップを決断、一方で校庭内に仮設校舎(実際は兼仮設住宅)の建設を行政に働きかけて実現、さらに3月以降の本部の重要課題として校内外での心のケアと物資の安定供給体制の確立を掲げ、そのための要員の確保とシステム作りに着手、さらにはパソコンを利用した在庫管理や情報の収拾・管理・公開体制を整備するなど様々の対策は、500人以上の規模の集団を異常な状態から正常化するために取り得る、最良の戦略・戦術であったと思う。

 あの極限状態の中で、それらを着実に実施していった対策本部のリーダーシップに改めて敬意を表したい。

 今となってみれば、不満や反発を感じていた人々も本部方針やその判断の正しさが理解できるのではないかと思うし、ぜひそういう見方でこれまでの活動を見直してほしいと思う。

 最後に

 ただ現時点でこれまでの活動を省みて、自己正当化や喜び、誇りなどを云々しながらも、自警団の人から言われた「ボランティア本人たちはしばらく活動して満足しながらも帰るようだが、我々は迷惑している‥‥」という言葉は、今も澱(*)の様に心の奥底に引っかかっており、素直に我々の活動が良かった、例外なく喜ばれ感謝された、という評価を下すのには抵抗がある。

 救援活動が先細りし、被災者がお金を出し合って共同生活を始めねばならない4月以降こそ、これまでより一層複雑な人間模様が表面化し、難しい局面に苦しむ人たちが出て来るのではないか、と懸念される。

 そうした事態を乗り切るためには、行政が極力早く正常な機能を取り戻す必要があるが、同時に息の長い地道なボランティア活動をも含めた、全国からの物心両面の支援も引き続き不可欠と思われる。

 私としても、親元の関係で関西に帰るたびに、これからの自立の様子を拝見するつもりだし、その他出来る範囲で何か役に立つことがあれば、やりたいと思っている。

 今回ファミリー国立の一員として参加された人たちには、ぜひこれからも関心を持ち続け、支援を続けて頂きたいと願っている。


*液体の底に沈んだかす。おりかす。

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