今回神戸に行くまでは、ボランティアは、私にとって関係のない興味の外の遠いものでした。せいぜいユニセフのカードを仕事で使ったり、古切手をなるべく捨てないで送る協力しかやってきていませんでした。かえって、ボランティアという言葉に対して、ちょっと好きじゃないな、という偏見があったのです。
神戸に行って何か手伝いたいと思っても、つながりもなく、アピールできる技能もなく、日が経ち、ファミリーの募集でやっと行けたのです。東京を出る時は何ができるか、迷惑ボランティアという言葉も聞いたりして、私にしては珍しく緊張していた気がします。19日ほどいた内で、気持ち的にふっと全体を見られるようになった時は10日以上過ぎていました。頼まれて行っているわけではない、という緊張が取れず、思いがけない寒さもあって、夢中に日が過ぎていきました。校内の避難者の方たちの顔が覚えられた頃、帰ってきてしまった感じです。
そんな中で忘れられないのは「してほしい事をしてくれないボランティアは迷惑だ」と言われてしまったことです。そういう言葉が出てしまうくらい、被災者のボランティアには疲労があったんだと思います。守られていた範囲の中での活動ではしょうがない事だったのですが、被災している方たちは1人1人状況が違うわけですから、同じ魚崎小にいても、その1つの条件でくくってしまう事はできないのだと思います。状況が日々変わってしまう事は当然といえばそうなのですが、東藤さん、加藤さんとちょっとサイドな感じになってしまいましたが、長期の彼らがいてくれる事は大きな安心でありました。
感想になってしまいますので、気がついた事を上げてみます。
なかなかうまくいかず、他の避難所に移ることまで考えたくらい、ポジショニングについての緊張がありました。仕方のないロスでしたが、その事が全ての責任ということから起きていた気がしますので、全て本部に委ねていき、私たちはいいパイプにならなければいけなかったと思います。配給の時間を平気で変えていったりと、ただハラハラしていたようで、情けなく思い出されます。細かなお知らせ程度の決定でも、早めにわかりやすく避難者の方たちに知らせる方法も、抜けていた気がします。校内の人数が思ったより少なかったことや、講堂もスペースがあったことも、本部が何人まででやっていく意向だったのかを知っていたら、車に寝ている人たちにも声をかけたりできたのでは、と思います。
体力的にも辛かったですが、やって良かったというか、もう少し早めにやりたかった。
看護師さんがメンバーに続けていてくれたことは、とてもラッキーでした。経験のない私たちの、何かしてあげたい、という気持ちが、その人のできることを奪うようなこと(時間がかかってもできることまで)をしてはいけないと、ストップをかけて下さった気がします。
私たちの食料に関して、現地では、余ったもの、古いものという以上に恵まれた時もありましたが、やはり準備不足だったと思います。また、必要以上の頑固さでは、継続という点で無理が出てしまうと、いつも気になりました。

スペイン村の人たちによる歌と踊り