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連隊館震災ボランティア第 II 部 ボランティアを体験して
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震災ボランティア:第 II 部 ボランティアを体験して

与え与えられるボランティア

O.M.(2/14~3/7)

 1月17日の早朝、予想もしなかった出来事が関西に起こりました。阪神大震災です。その日は学校があり、テレビも見ずに家を出たので、状況がわからず、ただ西宮市に住んでいる叔母が心配なだけでした。しかし、報道をよく見ていくうちに、死者5千人以上、家を失った人2万人以上と、予想よりもひどいことを知り、自分にもできることはないのか、と思い始めました。義援金を呼びかけたりもしましたが、被災地で直接活動をしたいと思い、新聞のボランティア募集を探していたら、ファミリー国立に出会いました。すぐに電話をして、2月13日の夜に東京を出発しました。14日の早朝大阪駅に着き、阪神電車に乗りながら崩れた家、傾いた建物を見ていたら、改めて地震の恐ろしさを感じました。

 梅田駅から30分くらい乗った青木駅で降りて、そこから歩いて魚崎小学校へ向かいました。魚崎小学校に着いた時は、人が多いと思いました。会社に行く人、朝食をもらいに来ている人などで多かったのです。私は、小学校にいるボランティアの人たちに自己紹介をした後、すぐに小学生の交通整備に行きました。小学生は明るく、父母の方は「ご苦労様」と挨拶をしてくれて、普段と何ら変わりありませんが、通学路は今にも崩れそうな家の横だったり、崩れた塀の上を歩いたりと、危険な場所だらけでした。それが終わると少し時間ができましたが、またすぐに昼食の準備、帰りの交通整備、物資の整理などで明け暮れました。1日目は長いようで短く、すぐ過ぎていきました。2日目以降は、ローラー作戦で地域を回ったり、食事の準備、救援物資の受け渡しをして過ぎました。初めの頃は、共同だったり仮設だった水も出ないトイレに戸惑いを感じていた私でしたが、この頃になると慣れてきました。

 ローラー作戦は、1日4時間以上歩き回っていろいろな家を訪ねました。時には4階に住む老人のためにポリタンクの水を運んだりもしました。ポリタンクの水は思っていたよりも重く、階段の途中で転びそうにもなりました。けれど、その方に「わざわざありがとう」と言われた瞬間、その疲れは喜びにと変わるのです。またある日は、同じようにボランティアをしている人たちの休憩所で一緒に休ませてもらったこともありました。その人たちは、何かあったら気軽に来てくれと言ってくれて、とても頼もしく思いました。

 朝・昼・晩の食事の配給でも、挨拶から始まる会話や「いつもありがとう」という言葉で、私の心は温かくなりました。そして、私も相手の心を和やかにするように努力しました。また、被災者の子供たちとも親しくなりました。学校が12時半で終わるので、午後暇な子と一緒にうさぎ小屋を掃除したり、ボールで遊んだりしました。勝ち気で少し生意気でしたが、優しくいい子ばかりでした。私と遊んで少しでもストレスが減ってくれればいい、と思いました。

 ボランティア活動は、私が今まで気付かなかったことをたくさん教えてくれました。私は、改めて自分自身を見直し、自分が今までどんなに幸せであったかを知りました。東京に帰れば、トイレやお風呂が当たり前のようにあり、好きなだけ水が使えます。寝る時は温かい布団で寝られます。しかし、ここはその当たり前だと思っていたこともないのです。私は、この3週間で人生観が変わったと思います。人と出会い、影響を受けて、少しは成長したと思います。現地の方は親切な人ばかりで、私は気持ち良くボランティアができました。そして、与え与えられるというボランティア活動の喜びも知りました。

 初めてのボランティア体験だったので、迷惑も多々おかけしたと思いますが、温かく見守ってくれた方々に感謝をし、みんなが幸せと思える街になることを願っています。

誕生日会の写真
ボランティアの誕生日会。現地の人からケーキのプレゼント

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