その節はいろいろとお世話になり、大変ありがとうございました。私も当初予定通りにボランティア活動を終了することができました。本日は私の最後までの作業の間の印象等、また坂本さんよりの依頼の若いファミリー国立の動向等の報告をさせて頂きます。
当初私のボランティア日数を5日間にさせて頂いたのは、12日に用があることもありましたが、私の体力では5日が限度だと思いまして、そうさせて頂きました。事実私の年では1週間が限度であるとの実感を持ちました。現場は私の思っていたよりもいい環境ではありましたが、現実は厳しいもので、表現が悪いかも知れませんが、まるで野戦病院のような、サラエボのようなもので、被災者の方々の心労はいかばかりかと思います。
私が着いた当初は、物資の搬出入や夜間の巡回などがあり寝る時間が短かったのですが、その後ボランティアの人員が増えましたりして(松下電器(株)が20数名の人員を朝から夜まで参加されました)、また物資の搬入も定時に来るようになり、水もすぐ来るようになったり、物流の安定が確かになったおかげで定確化でき、仕事が楽になっていきました。また、よそから来たボランティアの人の話では、魚崎小は仕事のしやすい場所であるとのことで、よそではいろいろな規制があり、あれはだめ、これはだめと言われたとのことでした。魚崎小ではそのようなことはさほど見受けられませんでしたので、我々はのびのびとやらしてもらい、本部に対しては大いなる疑問を持ったことはありませんでした。
当初の活動は、物資の搬出入、食事の配給、水の補給、避難者への不満・要望等の聞き取りなど校内の仕事が主で(余談ですが、避難者に聞き取りをした時に皆さんが半分本気で家がほしいと言われたのには参りました)、8日に初めて外回りで独り住まいの老人の現状確認をしに行き、9日より本格的にファミリー国立本来の路線に近い弱者への補助をする仕事がありました。
いちおう本部より8名の老人を指定され、我々が2名ずつ2班に分かれて、私は内田さんと、東藤さんは現場に来ていた個人ボランティアの加藤さんと組んで4名ずつの訪問に出かけました。私たちの4名のうち2名は、別に生活に困っていないとのことで補助がいらず(1人は近くに息子さんが住んでいて、もう1人はマンションの1階に住んでいるのと同マンションの玄関に水・食料が来るので苦労がないとのこと)他の2名の所では、家の片付けあるいは窓・ドア等の補修に時間を取られて、結局その日1日かかって2軒しか処理できませんでした。この件は内田さん、東藤さんに引き継ぎましたので、初回よりは効率が良くなっているものと思います。
さてファミリー国立の若い人々のことですが、さすが体力があるだけに、私にはついて行けない世界でした。皆さん自分のことも楽しみながら活動しており、それが他の人々、特に被災者の人々にとって勇気づけられることになり、子供たちと仲良くなり彼らと遊んであげることでその子らの親も安心し、大げさですが人心の安定の一助になっていました。
以上が今までに私が感じたこと、経験したことの集計です。総合的に見まして、魚崎小はまわりの避難所と比べて格段の環境のようです。と言いますのは、10日現在では阪神電車が青木までしか通らなかったので、魚崎小のすぐそばの南北道路が重要な乗り継ぎバスの道路となって魚崎小への物資の搬入をしやすくする結果となり、魚崎小でのいろいろな物の循環を良くしていたものと思われます。
11日より阪神も電車が2つ神戸よりの御影駅まで延びましたので、今後は少し状況が変わるかも知れません。
最後に、私もまた一度体力が戻るようになった折に再訪したいと思っております。少しの時期でしたが、いろいろ勉強になりました。皆々様もお元気でお過ごし下さい。

全壊した家屋。潰れた屋根が歩道をさえぎる