結果的に、僕は3ヵ月という期間魚崎にいた。ものすごく時間が経つのが早かった。「3ヵ月」という数を他人が見たら、かなりの数字に見えるかもしれない。僕は3月下旬に行ったが、2月に行った人たちの方が自分より得たものがもっと大きいだろう、なんて時々思う。確かに僕も物資搬入やゴミの分別・処理、老人ケア等を体験させてもらった。そして、人間の裏というか、嫌な所も見たし、良い所も見た。皆と同じようなことを経験してきたが、僕だけ何も得ていないような気がしてならなかった。葛藤というか、自分自身の存在理由がわからなくなり、悩む日々が多かった。時が過ぎて、いつか神戸のことを思い出す時、「ただ悩んでいただけだったなぁ」と思うことを、僕は正直恐れていた。
でも東京に帰ってきて、いろいろと内面的に気付くことがあった。自分のしてきた仕事はやはり貴重な体験だったのだ。特に『せせらぎ』のような、自分のしたことが形として残ることは本当に貴重だったと思う。そして、あの悩んでいた日々も‥‥。
その中でも、何よりも人との出会いが大きかった。現地での被災された人々、同じボランティアの人々、行政の人‥‥今までにこんな良い出会いをしたことはないと思う。あの地震がなければ、僕は今何をしているのかわからないし、多くの人とも出会っていないだろう。そして、避難所の人たちは、あの震災で何か教えられたこともあっただろうし、他人同士での団結力、生きていく使命感や喜びといったものを感じたのではないだろうか。うまく言葉にできないけれど、みんな心に何か強い気持ちというか信念というか、そういうものを抱いているような気がした。僕らは、少しでもそういうものを学ばなければいけないのだろう。しかし、あんな地震は起きなかった方が良かったに違いない。
阪神大震災――誰もがいつまでも忘れてはいけない、心に響かせていく教訓だと。それが、東京に帰ってきて一番感じたことだった。
中学を終えて高校、すぐに大学、そして就職。当たり前のことだけど、決まり切ったようなレールの上を歩き、「勉強」「受験」と、そんなものに自分自身が押さえつけられていたような気がした。神戸での長期滞在理由もあったが、95年の1年間を空け、今までにない経験をしようと思ったから。結果的にはそれが本当の意味での自分自身の勉強になればと思っている。そして、それ以上なものになることを願っている。
ファミリー国立、それから両親に感謝します。