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連隊館震災ボランティア第 II 部 ボランティアを体験して
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震災ボランティア:第 II 部 ボランティアを体験して

自分の勉強のために

I.Y.(3/28~4/5)

 なぜ行こうと思ったか

 1月17日は、大震災があったなんて全く知らず、学校から帰ってテレビを見ながら、何かできる、何かしたい、行きたい、と思った。涙を流しながら、そう思った。3月になり、友達にファミリーのことを教えてもらったが「(魚崎に行くことを)見合わせてほしい」と言われた時はショックだった。その時は、せっかく親を説得してOKもらって、自分の気持ちが魚崎に行っていたのに、ぐいっと手をつかまれて引き戻された気持ち。それと、大切な勉強をし損なった、すごく損をした、という気持ちだった。初日の夜、本部テントで、中に住んでいる人に「なんでこんな所にボランティアに来ようと思ったの?」と聞かれて、「自分の勉強のため」と答えながら、自分が悪いことをしに来ている気分になった。

 何が良かったか

 まず、自分を知った、というと大げさな言い方だが、知らなかった自分に会えたこと。かなりうぬぼれていた。自分は学級委員や生徒会役員などをやったし、責任感がある、と思っていた。しかし、自分がしっかり仕事をやらないと周りの人に迷惑がかかるということを本当は理解していなかった。自分でやると言った仕事を忘れてしまった。自分は待ち合わせの時間に遅刻したことはないし、約束を守る人間だと思っていた。しかし、自分の魚崎にいたいというわがままで、周りの人に嫌な思いをさせた(と思う)。自分は思いやりがあると思っていた。でも、仲良くなった小学生に「名前と住所書いてくれる?」と言ってしまった。笑いながら「どこの住所書いたらええん?家くずされてしもうてん」と答えられるまで、気付かなかった。自分自身のことをよく知らないのに他人を理解しようなんて、大それたことができるわけない。そういうことに気付かせてくれたことは、自分にとってとてもプラスになったと思う。

 次に、いろいろな人と出会えたこと。ボランティア、中に住んでいる人、ケアで回ったおばあさん、警備員や解体工事などの仕事をしている人‥‥。春休みに学校に部活をしに行っているだけでは出会えなかった人と話をして、いろんな考え方、見方があるのを知った。人によって違うのは当たり前だが、自分と学校の友達との違いよりずっと大きかった。考えがしっかりしているから、自分の話がいかに思いついたままかがよくわかった。自分に説得力がないと前から思っていたが、その理由が納得できた。

 また、「ボランティア」という言葉の意味についても考えさせられた。例えば、ゴミの分別をしている時に、中に住んでいる人に「ボランティア?えらいわねぇ」と言われたが、それが嫌だった。魚崎にいる時はなぜだか良く分からなかったが、今なら分かる。それは「ボランティア=奉仕、良いこと」という定義が自分の中にあるからだ。自分は偉いことをしているのではない。だから、友達や部活の先輩に「ボランティアなんてすごい」と言われるたびに自分が嫌だった。私にとって、魚崎に行ったことは自分の勉強だった。すごく良い勉強だった。

 思い出になると嫌なことも全ていいことになる、と良く言われるが、魚崎にいる時から、楽しくて、面白くて、こんないい思いをしながら自分のためになっていた、というのがうれしい。中に住んでいる人が掃除しているのを手伝ったら「ありがとう」と言われたが、魚崎に自分がいたことが、自分のためだけでなく、少しは中に住んでいる人のためになったのかもしれない。そうなら、もっとうれしい。

昼食準備の写真
昼食の用意をするボランティア

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