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連隊館震災ボランティア第 II 部 ボランティアを体験して
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震災ボランティア:第 II 部 ボランティアを体験して

応援する気持ちが生まれた

H.M.(3/8~4/15)

 どうして神戸に行ってボランティアをしたのかというと、もうあの大震災のニュースがあまりにもショックで、居ても立ってもいられなかったからだ。何か私にできることを何でもしてあげたい。その時、私にできることとは現地に行って活動することだと思った。フリーターで自由に休みが取れる今がチャンスだと思った。めったにない経験をするだろう。行かなかった自分と比べれば絶対プラスになるだろう。そして、人との出会いを求めた。他人のことを思いやることのできる人たちと出会える場だと思った。人の役に立つ人間でありたい。直接的に自分が必要とされることを実感したかった。本当は、行って何かしたくても行けない人がいる。私は行けるのだから、代わりに行ってこようと思った。

 現地では、雑用の負担を軽くするために私が動くということと、自立への手助けのため甘やかせるようなことを止めるということとの差に戸惑いながら、活動をしていた。人の甘えに対して、身も心も尽くして応えたいと思ったこともあった。あんなに大きな災害にあった人だから、私にできることなら何でも、と。だけど、それは私が日常生活の中で仕事以外に誰にも注文されないことに不満を感じていたからかもしれない。注文に応え、相手の欲求をかなえてあげることで、自分が満足していた。被災者との会話の中に震災直後の思い出話が出てくると、私はどうしようもなくなる。私よりもっと以前に来たボランティアへの感謝の気持ちを聞いて、どうして私はもっと早く来なかったんだろう、と悔やんだ。でも、たとえどんなに早く来ようとも、私は震災を体験していない人間だ。そのことに負い目を感じ、申し訳なく思っていたこともあって、現地にボランティアとしていることの意義を作ろうとしていた。

 また、人の役に立ちたいという思い込み、自分を犠牲にするというイメージに囚われていた。ボランティアの手を必要とする仕事はどんどん減り、自分が何でここにいるのかわからなくなるくらい仕事がないのは私の配慮不足なだけで、本当にやってほしいことに目が届いていないだけなのではないかと焦った。任務を果たす。自主性を持つ。ボランティアは長期になるとそれぞれに役目は与えられているわけだし、予定を立てて活動するのだから、責任感を持たないといけない。命令されているわけではないから自発的な責任感が必要だ。でも、初めに「人の役に立つのだ」という自己満足があったのだ。その勘違いを悟され、やっと理解したのは、国立に戻って地域活動に参加するようになってからだった。活動そのものを自分も楽しむ余裕がないと続かない。

 私は何をしたのか。誰かの作業に私が手を貸したのだと思っていたけれど、一番大きなことは「かかわった」ということだと思う。現地で活動したから、私の中で故郷や母校や友人のことが好きで応援するように、魚崎を他人事でなく仲間として応援する気持ちが生まれたのだと思う。

理科室での記念写真
理科室にて

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