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連隊館震災ボランティア第 II 部 ボランティアを体験して
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震災ボランティア:第 II 部 ボランティアを体験して

開かれたボランティア社会へ

A.N.(2/27~4/9)

 今回魚崎に行って活動するまで、いわゆる「ボランティア活動」に参加したことはなかった。強いて言えば、高校時代に水泳部に入っていた関係で、大会の運営を手伝ったり、現役の高校生と一緒に泳いで泳ぎを教えたりしていたが、「ボランティアをしている」という意識は全くなかったのだ。それでは、なぜ今回参加したのかというと、いろいろな理由が考えられるが、1番の理由は、やはりボランティアを卒論のテーマにしようと考えていたことだろう。ボランティアに新しい可能性を見い出し、この視角から現代社会の問題点を考えようと思っていたのである。だから今回の出来事は、私にとっては運命のいたずらというか、偶然の巡りあわせであった。

 だが、実際に活動に参加するまでには時間がかかった。というのも、震災が起きた頃はテストとレポートに追われ、とても現地に向かえるような状況ではなかったのだ。さすがに、自分の1年を棒にふってまでボランティアをしようとは思わなかったのである。しかし、この選択で本当に良かったのか、もっと早く行っていれば良かったのではないか、と考えると、今でも自分が情けなく思えてくる。

 ファミリーに初めて顔を出したのは2月15日のことであった。それからしばらくは事務局の手伝いをして、27日からは10日ほど魚崎小で活動した。しかし、現地は既に安定期に入っており、ボランティアの仕事も減り始めていた。そのため、個人的にはリーダーや他のメンバーに迷惑をかけないように、自分でできる範囲のことは自ら行動するようにしたつもりであったが、正直言ってあまり役に立てなかった。この点は申し訳ないと思っている。しかし、被災地を自分の目で見て、人々の温かさに触れられたことは、本当に有意義であった。

 東京に帰ってからしばらくすると、性懲りもなく、また行ってみたいと思うようになっていた。ボランティアの必要性がなくなってきていた時期であったが、もう1回行けばきっと何か得られると思ったのだ。こうして、3月30日から再び魚崎で10日ほど、今度はリーダーとして活動することとなった。前回がブルーカラーの仕事で、今回はホワイトカラーの仕事であったから、本部や松下のことなど、前回は見えなかったことがわかり、勉強になった。しかし、逆に一般の被災者と接することが少なくなり、しかも事務的な仕事が多くなったから、どちらも一長一短で、難しいものだと考えさせられた。

 こうして今回の活動は終わったのだが、振り返ってみると、ボランティアというのは、べつに「特別なこと」でも何でもない、日常からあるものなのだということに気付かされた。そして、「人のため」と思ったことが自分のためであったり、「自分のため」と思っていたことが実は人のためになっていたりと、「奉仕」や「慈善」といった言葉では捉えられないものがボランティアにはあり、それがまた魅力になっているのだろう、と感じた。これがボランティアの本質なのだと実感したのであった。

 この震災を契機に、ボランティアに対する関心はさらに増し、ボランティアの大衆化がますます進むことだろう。そうなると、特に受け入れ側にとってはより柔軟な対応が求められる。そのため、これからは「ボランティア=奉仕、慈善、偽善」「無償が当然」と言った保守的な議論から抜け出して、当たり前のことを当たり前に行なうように、もっと多くの人に対して開かれたボランティア社会になってほしいと思う。それが、ボランティアを卒論にする者にとっての展望であり、願望である。

理科室内での写真
ボランティアの控え室となっていた理科室の様子

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