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連隊館震災ボランティア第 I 部 活動の軌跡
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震災ボランティア:第 I 部 活動の軌跡

3章 自立に向けて

2.継続か撤退か

 理想と現実の狭間で

 ファミリーの活動は、祭り以降かなり楽なものになってはいたが、それでも依然として重要な役割を担っていた。とりわけケア活動は、避難者に引き継ぐのは極めて困難であったし、公的機関等への引き継ぎの目処もまだ立っていなかったので、しばらくは活動が必要であったのだ。そのため現地の本部としても、3月中はケア中心に4~5人は確保し、4月以降もそれを維持してほしかったのである。

 しかし、事務局にとっては、それはかなり難しいことであった。というのも、4月以降のボランティアについては既に新聞やパソコン通信を通じて募集していたのだが、学生は学校が始まってしまうし、社会人なども仕事等があって忙しいので、これまでは応募者がいなかったし、これからも期待はできなかったのである。それに、被災者が自立に向けて動き出している中では、ボランティア活動はかえって自立を妨げることになるとも考えられたし、ボランティアの仕事自体も楽になっていたから、これ以上派遣する必要性もなくなってきていたのである。

 そのため、ファミリーとしては3月いっぱいで魚崎小から撤退して、それからは松下が4月以降もバックアップすることになっていたから、そちらの方に残りの仕事(主にケア)を引き継ぎ、その後もしボランティア希望者が現れた場合には松下の下で活動してもらう、という案が有力になっていた。

 だが、他方では、ボランティアがお手伝いをするだけでも被災者はいくらか安心するだろうし、現地で支援が必要とされている以上、できるだけ協力するべきである、との意見もあった。

 このように、今後の対応については意見が分かれていた。しかし、4月以降の人員確保が不可能に近いことと、撤退の時期が迫っていることでは皆一致していた。こうした中で今後の方針を決めなければならなかったのだが、なにぶん国立からでは現地の様子が詳しくはわからないので、リーダーの貝瀬が帰ってくる18日にみんなで集まり、改めて継続か撤退かの最終的な決断を下すことになった。

 思いがけない出来事

 一方、現地では、「4月以降の人員確保が不可能」との情報を受けて、松下へのケアの引き継ぎを本格的に考えざるを得なくなった。そして、そのために松下側にこの件について打診するとともに、その準備として、初心者でもわかるマニュアル作り等を始めようとしたのであった。

 しかし松下としては、日帰りのメンバーがほとんどであり、しかもこれから派遣者も減らしていく方針であったから、これまでファミリーがやってきたようなケアはとうてい望めない上、メンバーがしょっちゅう変わることになるので、ケア対象者に信頼されなくなることが予想された。そのため、引き継ぎに積極的には応じなかったが、ファミリーとしては他に選択肢がなかったので、とりあえずこうした方向で話を進めていくことになった。

 しかし、ここで思いがけない出来事が起こった。なんと、4月以降長期で活動したいという人が2名も現れたのである。そして、そのうちの1人は留学に行く6月まで、もう1人は最高で1年間活動できるとのことであった。まさかこの時期に希望者が現れるとは思っていなかったので、うれしい限りであった。そこで、ともかく2人には18日に事務局まで来てもらって、会議にも参加してもらうことにした。

 18日には、事務局スタッフのほか、以前活動した人、これから現地に向かう人および活動希望の2人など、十数名が集まった。そして、まず2名を4月以降長期で派遣できることになった旨が報告されたが、これはメンバーにとっても驚きであった。と同時に、これで活動に支障をきたすことがなくなったので、ひとまず安心であった。そこで改めて考えてみると、現実的な選択としては、撤退してしまうよりも活動を継続することの方が望ましいように思われたのである。しかし、まだ貝瀬が到着しておらず、現地のニーズがよくわからなかったので、それまでしばらく休憩となった。

 貝瀬が現れたのは18時頃であった。事務局に着くと、彼はさっそく現地の様子を話し始めたが、やはり対策本部はファミリーの活動を必要としているとのことであった。こうなると「撤退」より「継続」という選択を選ぶのは当然であった。もはや反対する者はいなかった。議論は意外なほどあっけなく決着したのである。

 事務局のその後

 このようにして、とりあえず4月中は活動を続けることになったが、その後の事務局は、もはや受付や資料作り等の仕事もほとんどなくなってしまい、せいぜい活動した人たちから寄せられた報告集の作成を行なったぐらいであったので、定期的に集まるということはあまりなくなった。それに、事務局の中心として活躍していた坂本も、この頃には就職に向けて忙しくなっていたので、留守にすることが多くなっていた。そのため、現地から「入学式用に花を調達してほしい」などと要望があっても、なかなか対応できなくなっていたのである。

 それから、3月末にはこれまで使っていた資料も整理され、基本的に坂本が預かることになった。また借りていたコミュニティルームもきれいに片付けられ、震災前の状態に戻された。そこにはもはや事務局の面影はなかった。そして4月以降、現地からの連絡については、緊急時以外は原則として坂本の家に出勤前に電話することになった。こうして、事務局は事実上の解散状態となったのである。

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