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連隊館震災ボランティア第 I 部 活動の軌跡
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震災ボランティア:第 I 部 活動の軌跡

2章 ハードからソフトへ

2.ゴミの分別の徹底

 燃えるゴミにカセットボンベが

 この時期、ゴミを捨てる仕事は、ボランティアの仕事の中でも大きな比重を占めていた。特に食事の配給では、ほとんど使い捨ての物資が使われていたし、避難者の数も多かったので、ゴミの量はかなりあり、ボランティアの力なくしてはどんどんたまっていってしまう状態であった。

 ゴミ置場は南校舎の入口と体育館前、それに食事の配給をするテント前に設けられていた。それらには、いちおう燃えるゴミ、燃えないゴミ、ビン・カンなどの区分が書かれたゴミ箱があったが、段ボールでできた貧弱なものに過ぎなかった。そして、それらのうち、燃えるゴミは西校舎横の小型焼却炉に持っていき、そこで燃やしていた。他方、その他のゴミは北校舎裏のゴミ置場に持っていき、そこからは業者が一括して持っていった。こうした敷地内のゴミの運搬と焼却炉での手伝いが、ボランティアの仕事であったのだ。

 しかしながら、神戸にはもともとゴミを分別する習慣がなかったので、ゴミ置場で区分されていても、そもそも何が燃えるゴミで何が燃えないゴミであるのかわかっていない人が多いらしく、燃えるものと燃えないものがごちゃ混ぜになっていた。そのため、燃やそうと思った燃えるゴミの中に、新聞紙でくるんでカセットボンベが捨てられていたり、ビンやカンが入っていたりしたこともあったし、またスプレー缶が混じっていたために、焼却中に缶が破裂することもあった。こうしたことは、焼却炉を傷めるだけでなく、有毒なガスが発生するなど非常に危険なことであるので、やむなく、ボランティアが回収の際にゴミの仕分けを行なったが、大量のゴミをいちいちチェックするのは大変な仕事であった。

 しかし、考えてみればこれは無駄の多い仕事であった。ゴミ置場の時点で分別はしているのだから、避難者がちゃんとゴミを分別していれば、ボランティアの人手もこんなことに使わずに済み、もっと必要なことに使えるはずであった。それに、このことは避難者の自立を押し進めていくためにも重要なことである。こうした思いはファミリー内で次第に大きくなり、皆の意見の一致するところとなった。そこで本部にこの意見を図ってみると、本部としてもこれには大歓迎で、ぜひやってほしい、とのことであった。こうして、ファミリー内で何人かが中心となってゴミの分別の徹底を試みることになったのである。

 いかに分別するか

 そこで、まずはどのように分別するかが話し合われた。これまでは、燃えるゴミ、燃えないゴミ、生ゴミ、ビン、カン、発砲スチロールなど、必要以上に区分けされていたが、分別する習慣のない人たちにとって、これほど細かい分別は酷であった。それに、業者はどのゴミも一括して持っていくので、あまり細かく分けても意味がなかったのである。そもそもこの分別の目的は、基本的には焼却炉に持っていく分を最低限しっかり仕分けすることであったので、究極的には燃えるゴミと燃えないゴミの2つに分けるだけでも良かったのだ。

 この点を本部に具申してみると、本部としては、避難者の自立を促進するためにはある程度の分別が必要だと考えていたので、2つよりはもっと多くしてほしいとのことであった。こうして再度協議を重ねたが、分別を徹底する以上一貫することも重要なので、あまり細かいのも問題であった。その結果、多からず少なからずということで単純に、燃えるもの、燃えないもの、ビン・カン類の3つに分けることとした。そして、燃えるものとしては紙・生ゴミ・木類、燃えないものとしてはプラスチック・発砲スチロール・カイロ類という分け方にした。

 そしていよいよ、避難者へのPRのためにビラを作成することになった。折しも、25日には避難者の会議が開かれることになっていたので、ビラもそれに間に合うように作る。そこでビラの原稿を書くのだが、分別の仕方が良くわかるようにするためには、絵のうまい人が書く必要があった。これをどう選ぶかが問題であったが「ドラえもんを書けばわかるだろう」という意見が出たので、24日の夜には皆で「ドラえもんコンテスト」を行ない、絵のうまさを競って盛り上がった。かくして原稿を書く人が選ばれ、すぐさまビラの作成に取りかかった。

ドラえもんの絵
「ドラえもんコンテスト」ノミネート作品

 このようにしてビラも完成したので、この原稿を本部に提出した。そして、会議では手書きの部分をワープロで打ち直してもらった上で避難者の方々に配られる予定であった。だが実際には、松下が原稿を打ち直す際に絵まで変えてしまったのである。これは「ドラコン」を無駄にしてしまったという意味では残念であったが、基本的な所は変更されていなかったので、納得のいくものであった。

 こうしてできた「ゴミ分別収集のお願い」と題するビラは、会議で避難者に配られるとともに、ゴミ置場など主要な所に掲示された。そして、内回りの際などに避難者に直接知らせるようにもした。

 他方、ゴミ置場では、先に述べたような分け方に従ってゴミ箱の分類も変えていった。まず「もえるごみ」「もえないごみ」「ビン・カン」と書かれた紙を作り、分類が一目でわかるように貼っていった。そして北校舎裏の置場に分別表示をした立て札を設けるとともに、焼却炉の所は、さらに段ボールと燃えるゴミに分けるようにした。また26日には、これまでの段ボールのゴミ箱では貧弱なので撤去し、代わりにしっかりしたポリバケツの容器等を用いることにした。それにゴミ袋も、例えば燃えるゴミは青、燃えないゴミは黒の袋を使うようにするなど、ゴミの種類によって変えて、わかりやすくなるようにしていった。

 こうして、体制は着々と整えられていったのであった。

分別収集のチラシ

 徹底はされたが‥‥

 その後、3月に入ってすぐに、あまり必要性のないと見られた南校舎入口とテント前のゴミ置場を撤去した。そして、トイレ用・電話用とともにゴミ用のビラ(ドラえもんが書かれている)を新たに校内に貼り、体育館前の置場を除いては、基本的に避難者にゴミを捨てにいってもらうようにしたのだ。このようにして、ゴミの分別は徹底されるに至った。

 だが、これでも分別がきちんと行なわれたわけではなかった。体育館前のゴミ置場では、この後もしばらくは燃えるものも燃えないものもごちゃ混ぜに捨てられていたので、ボランティアがいちいちチェックしなければならなかった。PRは十分したのだが、そう簡単には避難者に受け入れられなかったのである。この活動が真に実を結ぶようになるのは、3月も半ばを過ぎてからのことであった。

 しかし、こうした活動は本部のファミリーに対する信頼感を回復するに足るものであった。本部の意向を伺いながらも自主的に活動するというやり方は、最も望ましいものであったのだ。こうして、本部とファミリーとの信頼関係もどうにか回復したのであった。

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