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連隊館震災ボランティア第 I 部 活動の軌跡
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震災ボランティア:第 I 部 活動の軌跡

1章 救援!

5.相互不信

 報告会の開催

 このように現地での活動が軌道に乗り出している中で、国立の方では、兼松氏らの呼びかけに応じて、17日の夜に報告会を開催することになった。これは、活動には市なども協力しているし、これから行く人に情報提供をするためにも、定期的に活動の報告を行なうようにしてほしい、との要望に応えたものであった。

 そこで、最初の時期に現地で活動した人のうち何人かに声をかけて、報告をするようお願いするとともに、プログラムを作り、役割分担を決め、打ち合わせをするなどして準備を進めていった。

 だが、この報告会は前々から決まっていたことではなかったので、事前に広報活動を行なう余裕はなかった。そのため、会場は市役所の第5会議室という狭い場所でやらざるを得なかったし、参加者も、活動報告者6人と事務局メンバー、これから現地に向かう人、および市役所の職員数名の、合わせて20名程度しか集まらなかった。

 報告では、まず趣旨説明と活動の目的、理念について簡単に説明し、続いて現地での活動報告に入っていった。その際には、全体を便宜的に、立ち上げ期(3~5日)、盲目的活動期(5~9日)、信頼関係崩壊期(10~12日)、信頼回復期(13日~)と分けて、それぞれについて、状況説明や活動内容、辛かったこと、楽しかったこと、感じたことなどを話してもらうとともに、現在はどうにか落ち着きを取り戻していることが報告された。それが終わると、質疑応答に移り、何が大切だったか、これからどういうことが必要になるかなど、主に市職員の方からの質問が出て活発な論議が展開された。そして最後に、会計報告、参加するための手続きの説明、次回報告会のお知らせをして、1時間半程で終了した。

 その後の交流会では、現地に行った人、これから行く人などが一緒になり、自己紹介をし合って交流を深めた。その場は、いろいろな話で和気あいあいと盛り上がった。そして、報告を聞いた印象から、現地での活動は順調に進んでいると誰もが思っていた。

 だが、実際はそんな甘いものではなかった。毎日送られてくる報告ではわからない、厳しい現実が存在していたのである。

報告会のプログラム

 猫の手も借りたい

 この時期には、仕事がうんざりするほどあった。ケアとローラー作戦については先に述べたが、他にも内回りや物資搬出入、食事の配給、ゴミの片付け、水の運搬、トイレ掃除、仮設風呂の清掃などは続いていたし、衣類のガレージセールも毎日のように催され、その準備や片付けも手伝っていた。

 それに加えて、13日からは小学校が再開されることになった。児童は大部分が疎開しており、1,000人のうち実際にいるのは300名程度であったから、北側の校舎を開けるだけで開校することができたのだ。だがこの時点では、まだガレキが道を塞いでいて危険な場所がいくつかあったので、児童の登下校時の安全確保を図る必要があった。そこで、松下などと協力して通学路の主要な場所をチェックし、3~4人を1グループとして危険のない所に誘導するようにした。学校は、とりあえず9時登校、12時下校になっていたので、それに合わせて適当な場所に待機するようにしたのである。

ボランティアと教師の配置図
登下校時のボランティア・教師の配置

 しかし、いざやってみると、初日は親同伴の子が多く、特に問題は起きなかったが、通学路の中には、倒壊した家屋やガレキなどでかなり危険な部分もあったので、本部ともども学校側に働きかけて、改善するように提案した。だが、規則は規則であるとのことで、この案は受け入れられなかった。そして、この仕事はしばらく続けていくことになった。

 このように、2月半ばは仕事に追われる毎日で、休む暇もほとんどなく、猫の手も借りたいほど忙しかった。せめてもの救いは、炊き出しが多かったので、食事時に少しゆっくりできることぐらいであった。

 ところが、これはなにもボランティアだけのことではなく、本部スタッフにしても、あるいは被災者にしても同じことであった。震災後1ヵ月を目前に控えながらも、やることだけはたくさんあり、しかも出口の見えない状況で、人々は余裕を失い、精神的・肉体的にほとんどもう限界に達していたのである。

 このような状態では、いつトラブルが起きても不思議ではなかった。そして、それは現実のものになっていったのであった。

 本部に連絡を!

 この時期、ファミリーの内部は、仕事の増加でやり甲斐が感じられるためか、あるいはとことん話し合ったためか、あまり意見の食い違いは見られなくなり、団結が進んでいた。しかし、対本部・松下等に関しては必ずしもうまくいっていたわけではなかった。そのため、問題は毎日のように起こっていたのである。

 最初にもめたのは、14日のケアのことであった。その日は、いつも通り外回りに出かけ、何軒かのお宅を訪問したが、その際に魚崎中に寄って、独居老人について何か心当たりはないかと尋ねてみた。すると、近くに最近まで避難していた老夫婦がいるとのことであった。その人の話によると、その夫婦は、当初魚崎中のボランティアにフォローを依頼したのだが、この避難所では在宅ケアはやっていないし、こういうことは本来行政が行なうべきことなので、これからも行なうつもりはなかった。そのため、行政に直接連絡して、そちらに任せることにしたのだ。そこで、とりあえずその場所を教えてもらい、訪ねてみることにした。

 行ってみると、そこはオートロックの高級マンションであった。建物の被害も目につかなかった。これだけ立派な所に住んでいれば、生活上何の問題もないと思われるかもしれない。だが実際には、オートロック・システムの玄関のために外からは訪問しにくい状況にあり、近所付き合いもほとんどない状態であった。しかも、昨年の12月に引っ越してきたため、行政のリストにも登録されていなかった。そのため、彼らが重い荷物を運べずに苦労していることもわからなかったのである。

 そして、その夫婦に話を伺ったところ、行政の人は今だに誰も来ていないとのことであった。そのため、行政の方に取り急ぎ確認の連絡をして、少しでも援助の手を差し伸べてもらえるよう懇願した。

 しかし、これは本部には連絡もせずに、独断で行なってしまったことであったため、行政から本部の方に連絡が来ても、本部は事態を把握できず、困惑してしまったのである。

 考えてみればすぐわかることだが、我々は本部の下で活動しているため、自分たちを「本部外」の人間だと思っていても、外部の人間から見れば本部の活動の一部のように映ってしまうので、その結果、何か問題が生じると、その責任は結局本部の方にふりかかってしまうのである。それゆえ、我々のやることは全て本部が承知している、という状態にしておく必要があったのだ。だが、現実にはボランティアのやる気が空回りしてしまい、混乱を生み出すだけに終わっていた。

 このため、本部からきつく注意された後、上記のことを確認して、活動にあたっては連絡を密に取り合うことで双方合意した。そして、それとともに、個人のケア記録についても、本部にも状況がわかるようファミリーと本部とで同じ内容のものを2部作成し、少なくとも次の日の朝までには1部を本部に置くようにしたのである。

 ブルーシート事件

 だが、事件はこれだけではすまなかった。同じ日、普段通りに内回りをして避難者の意見や要望を聞いていると、講堂にいた1人の女性が、家の屋根にかぶせるシートが至急ほしい、と言ってきた。しかも、学校になければお金を払うから買ってきてほしい、と言うのだ。そこで、本部の人に聞いて、1枚は何とか確保することができたが、屋根を覆うにはそれだけでは足りず、あと3枚は必要であった。そのため、ボランティア同士で話し合ったが、結局、被災者のためであるということで、必要なだけ買ってくることにした。

 翌日、そのシートが何とか手に入ったので、さっそくその女性の元に届けに行った。しかし、あいにく彼女は不在であった。そこで「ブルーシートが手に入ったのでお金を持って来てほしい」という内容の書き置きを残して、その場を去った。

 ところが、次の日になると、本部から呼び出しがかかっていた。その女性が本部に行ったので、この事実が明るみになったのである。実は、このことについても本部に事前に連絡を取らないまま行なっていたので、本部を混乱させることになった。しかも今回はお金が絡む問題であったので、下手をすると本部が救援物資を横流ししているという噂が流れる恐れもあったのだ。そのため本部からは、勝手にこういうことをされては困る、必ず本部を通してほしい、ときつく言われた。そして、用意したシートも、変な噂が立たないよう、渡さないことになった。

 この事件は、いかにやる気があっても、細心の注意をして行動しないと、かえって被災者に迷惑をかけてしまうことがある、ということを教えてくれた。その意味ではいい勉強であったが、ボランティアとしては実に辛い出来事であった。

 コミュニケーション不足

 さらに翌17日には、またしてもケア関係で問題が発生してしまった。

 この日は、ケア対象者の要望に応えて入浴サービスを実施することになっていた。しかし、前日の時点で明日か明後日に来ると言われるような状態であったし、分担してケアを行なっていた松下との人数調整もあるということで、対象者に事前に連絡できなかったのだ。そのため、当日入浴サービスのボランティアが到着すると、慌てて希望者に連絡をするはめになったのである。

 しかも、打ち合わせをしっかりとしていなかったので段取りがうまくいかず、希望者に迷惑をかけてしまった。すなわち、入浴に際しては、血圧・脈・熱・一般症状などの健康チェックが必要であったが、それを何人もいっぺんにやるとなると時間がかかり、寒い中待たせてしまうので、1人ずつ車で迎えに行き、健康チェックをして入浴してもらうようにしたのだ。結局、対象と考えていた5人のうち3人が入ることになったのだが、車は1台しかなかったし、面倒をみる人数も十分ではなかったから、行き違いで、対象者を入浴後出しっ放しにしてしまったのであった。

 こうしたミスは、明らかに本部および松下とのコミュニケーション不足が原因であった。この時には、ケアは松下と協同で行なっていたのだが、話し合いはそれぞれのリーダーの間でやっていただけで、実際に活動する人たちはお互いにどのような考えで行動しているかわからず、それがケアをやりにくくしていた。しかも、リーダーと現場の人間との情報交換も必ずしも十分になされていたとは言えなかったのである。また、本部との連携もうまく取れていなかったので、事前に入念な打ち合わせもできず、結果として被災者に嫌な思いをさせてしまったのである。

 こうした事件を通じて、メンバーは、震災ボランティア活動の難しさを痛感させられた。特に、ボランティアという立場をわきまえた行動の必要性を強く意識させられ、情報交換の重要性も嫌というほど思い知らされたのであった。

 ボランティアのジレンマ

 一方、避難者との関係においても、ボランティアの「力になりたい」という思いとは裏腹に、いざこざが起きてしまった。

 ブルーシート事件のあった日の夜、ファミリーのメンバーがミーティングをしようと集まっていた所に、夜警をしている避難者がやってきた。そして彼は、これまでのボランティアのあり方について、してほしいことをしてくれないのは迷惑だ、と批判して、本当にやる気があるのなら夜警を手伝ってほしい、と訴えたのであった。これに対して、ファミリーとしては、まだローラーやケアなどの仕事が山ほどあり、人繰り上困難なことを伝えて断わったのだが、その後少々文句を言われてしまった。

 このことは、ボランティアにとってはショックであった。被災者のために行なっているはずなのに、実際はそう思われていないこともあるのかと考えると、いったい何のための活動なのか、とボランティアを苦しめたのである。そのため、ボランティアの意味について考えさせられ、その後、自主的に夜警に参加する人も現れた。

 また、郵便物配達のためのデータとして、18日から避難者リストを新しく作り直すことになり、館内巡回を行なったが、その際「もう3度も提出しているのになぜだ」とか「生年月日などのプライバシーにボランティアがなぜ関わるのか」といった苦情を言われ、回収に若干時間を要してしまった。これも、ボランティアにとっては、本部の意向と避難者の間に立たされ辛いことであった。


現地支援状況報告書(一部抜粋)
2/3

災害からかなり時間が経っているが、思っていたより被災者の方々に余裕が感じられた。

2/6

本日の食事分配で品物の配布に疑問を感じた。品物があるのに出さなかったり、途中で配布のカット等をした。

2/7

食事の割り当てで、老人に当たり漏れがあることが気にかかる。だが、自立を推し進めるためには仕方のないことなのかもしれない。

2/10

ボランティアだけでは心を開かない人も、医師がいっしょだと多少は安心するようだ。これからはこまめに顔を出すことが必要。

2/11

ファミリーの中に少しずつ連帯感が生まれ、仲間意識ができ始めた。

2/13

本日より小学校が再開された。しばらくは10時登校、12時下校で登下校時は通学路にボランティアが立って誘導することになった。

2/15

「店を出して少しでも早く魚崎を活性化させたい」と言って、水を遠くから運んで理髪店を出している美容師さんが生き生きしていた。自分も頑張らねばとつくづく感じた。

2/16

現地夜警団ボランティアから「夜警を出してくれ」との要請があったが、人数上困難なため断わると、ボランティアのあり方について批判的発言あり。

 いざという時

 しかし、最大の問題は、夜にリーダーが不在であることだった。この時のリーダーであった下村は、西宮に実家があったので、毎日その家に帰っていたのだ。そのため、夜から朝にかけては、ファミリーはまとめ役を欠いていたのである。

 これは、本部との関係において望ましくないことであった。なぜなら、夜に行なわれる本部ミーティングに出席していなかったので、情報交換も十分できないし、そこからファミリーの仕事へのフィードバックもできず、円滑な活動の妨げになっていたからだ。そのため、当然本部のファミリーに対する信頼感も低下せざるを得なかった。

 それに、本部から見れば、夜に緊急事態が発生した場合、例えば余震が来たりした時に、ボランティア1人1人にいちいち指示するわけにはいかないから、リーダーがいないと困る。不在では誰に指示すればいいのかわからないなど、極めてやりにくく、それが信頼を著しく損ねていたのだ。こうした、いつ余震があってもおかしくないのにそれに備えて対処しようとしない姿勢は、現地の人には無責任に映ったのである。

 それが実際に起こったのが、19日の夜であった。久々に強めの余震があったので、すぐに見回りにいったのだが、幸いケガ人もなく、体育館の何かが落ちた程度で済んだ。しかし、このことは、常に緊張感を持って行動する必要があるとともに、いざという時にリーダーが不在ではまずいことも示していた。

 体制の立て直し

 このように不祥事が続発する中で、ファミリーとしても手をこまねいているだけではなかった。

 これらの原因は主に本部や松下との連絡不足にあったので、それを解消するために、18日より中心的なメンバーを1~2名本部ミーティングに参加させることにして、密接に情報交換をするよう心掛けた。そして、その際これまでの不手際を注意されたので、事態の改善をすべく、「魚崎小でのボランティア活動に関する諸注意」を作成し、活動においては勝手に動いてしまうのではなく、必ず本部に話を通した上で行なうように徹底した。

 また、ローラー作戦が終わってからは多少余裕もできたので、本部の了解をとって、子供と遊んだり、うさぎ小屋の掃除をするなど、個人個人で考えて自主的に動くようにもした。この動きは本部からもなかなか好評だったようである。

 こうした中で、19日に次のリーダーと目されていた土志田隆が到着した。しかし、今だに信頼関係の回復までには至っていなかったので、その夜のミーティングの際に、これまでのことについて本部から厳しく注意された。事態の深刻さをようやく認識した彼は、大きなショックを受けるとともに、一抹の不安を禁じ得なかった。

 そんな時、かつて2月初めに活動した吉川大介が、まもなく2度目のボランティアとしてやってくる、という情報が本部に知らされた。彼なら、本部としても気心が知れているので信頼できるし、土志田にしても彼がいてくれれば何かと心強いし、この難局を乗り切るには彼しかいないと思われた。そこで、さっそく彼に電話をして、至急現地に来るよう要請した。突然のことではあったが、本部長と土志田がぜひ来てほしい、とのことだったので、彼も快諾し、取り急ぎ準備をして、20日になって遂に現地に向かった。

 こうして、事態は新たなる展開を迎えるのであった。


魚崎小でのボランティア活動に関する諸注意

1.魚崎小対策本部の意向を最優先に

 頼まれた仕事だけやっていては、ボランティアとは言えません。避難所内で目についたこと、気になったこと、こうしたらいいんじゃないか、と思うことは、どんどん問題提起していって下さい。ただし、その際、自分たちだけでやってしまわず、必ず校庭の大テント内の対策本部へ相談して下さい。

(これは、その時点でのファミリーのリーダーたる人に相談して、その人が必ず本部の了承をとりつけてからやる、という形でもいいです。)

 我々が勝手に動くと、本部の方が、それを把握出来ず、収拾がつかなくなります。また、その結果、問題が生じると、その責任は結局本部の方にふりかかってしまいます。我々は、内側から見れば、「本部外」の人間ですが、外側から見れば、本部の一部であります。そこを認識して行動して下さるよう、お願い致します。

 我々のやる事は、全て本部が承知している、という状態にしておいて下さい。特に外部(在宅被災者・外部団体・行政関係など)とのコンタクトが絡むものに関しては、連絡は本部に来ますので、本部に話を通しておかないと、混乱しか生みません。

 かといって、萎縮してしまうのではなく、先に述べたような問題提起・指摘・報告は、どんどんして下さい。我々は、本部の人が見たくても忙しすぎて目の届かないところまで見られるわけなので、その意味では、彼らも我々のフィードバックを期待しています。

 “面倒くさい”などと言わず、こういった連絡を密に行なうことで、魚崎小・魚崎地区の被災者の方々への、より効率的な支援を行なっていきましょう。こういったことの不全から起こるいざこざは、被災者のためになりはしません。

2.引き継ぎ(申し送り事項)ノートについて

 自分の担当した仕事やあずかった連絡事項のうち、自分が帰った後に起こること、帰った後も引き続き行なわれていくべきものについては、申し送りノートに書いておくこと。その上で、具体的な日時がわかっている場合には、カレンダーにもマークをつけて、書き込みをしておくこと。

 さもないと、その仕事は忘れ去られます。そして、そのために、被災者の人々に重大な不都合が生じる場合も大いに考えられます。

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