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連隊館震災ボランティア第 I 部 活動の軌跡
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震災ボランティア:第 I 部 活動の軌跡

1章 救援!

4.ケアの模索

 ケアの開始

 一方この間に、独居老人などに対するケアが本格的に始まっていた。

 6日より始めていた老人の安否確認調査も、8日にはいちおう完了したので、翌日本部に結果を報告した。しかし、親戚の家や病院に疎開していたり、他の避難所に行っていたり、死亡していたりで、対象の108名のうち在宅していたのはわずか15名であり、しかも、ケアの必要はない、という人が6名もいた。

 この結果を受けて、本部はケアの必要そうな老人をピックアップして、ファミリーに対し、とりあえず8人の老人宅を訪問し、近況・様子などを聞いてくるよう指示した。そこで、2名ずつ2つの班に分かれて、それぞれ4名の訪問に出かけた。こうして、在宅ケアが開始されたのであった。

 ファミリーは、松下との分担の関係から、阪神高速より南側の南町・西町を担当した。だが、実際に行ってみると、8名のうち6名は近くに親類がいるとかでケアの必要はないとのことであった。しかも、この地域は結びつきが強く、アパートの人や隣の人が水や食料を運んでいることが多いため、水・食料などの介護もいらないと言われ、その日は、割れた窓ガラスを片付けて、そこを板などで塞いだり、地震でできたすき間を塞いで寒風が入らないようにするなど、力仕事が中心の内容であった。それに、西町地区については自治会がしっかりしているので、ケアの必要性もあまりないようであった。また、この時には、被災者もボランティアに慣れておらず、信頼感もないので、会話がとてもぎこちなくなっていた。

 翌10日には、朝食後、前日の反省を生かして、医務室の医師とともに4軒の家を回ることにした。伺った所では、医師が必要という人は特にいなかったが、ボランティアだけでは心を開かない人も、医師が一緒だと多少は安心するようで、様子などを話してくれるようになった。

 こうして、訪問を繰り返すうちに次第に信頼を得るようになり、順調に活動を進めていったのである。

 さらなる支援を

 しかし、これだけでは十分とは思えなかった。入手していた資料は震災よりもかなり前のものであったから、最近越してきた人の情報は載っていないし、だいいち震災で何が起きたかはわからなかった。

 そのため12日に、先の調査で疎開者となっていた、自宅以外の場所に避難している人に対して、現在の魚崎の状況を知らせるとともに、健康状態や今後の予定(戻るか否か)などを電話で聞いて、状況を把握するようにした。そして、不在や拒否等でそれがかなわなかった時には、リスト備考に明記するようにした。

 さらに、この他にも、避難所では目の届かない、助けなしでは生活が困難と思われる在宅老人や障害者等がいることは十二分に考えられたから、その人たちを探すために、先の資料を作り直すことを前提にして、1件1件、校区内をしらみつぶしに当たっていくことになった。「ローラー作戦」の始まりである。

 ローラー作戦

 ローラー作戦は13日より行なわれたが、松下との協議の末、ファミリーは阪神鉄道より南側を担当することになった。

 本部によれば、これについては急ぐのではなく、むしろじっくりとやって、できるだけ詳しいことを把握してほしい、とのことであった。そこで最初は、仕事を頼まれたりするかもしれない、ということもあって、3~4人の1組でローラー担当とし、徒歩で丹念に回っていくことにした。

 初日は、魚崎駅周辺と、ケアの必要がないと言われた西町地区を念のために回ることにした。

 とにかく、与えられた地区の全世帯を把握する必要があるから、多くの人への聞き込みが不可欠であった。そこで、まず1軒に目星をつけて、あるいは路上で適当な人を見つけて、心当たりの人がいるか、近所の様子はどうか、建物の損壊の程度はどのくらいか、と地図などを見せて、知っている範囲で答えてもらうようにした。そしてその際には、地域のことに詳しそうな比較的年配の女性に聞くようにするとともに、ついでついでにできるだけ多くの質問を重ねるように心掛けた。すると、思わぬところで広範囲に渡り町の状況を知っている人に出会ったりした。また、マンションなどに対しては、管理人がいる場合にはその人に対象者がいるかどうか聞き、いない場合には各階ごとに聞き込みを行なった。さらには、○丁目単位の自治会長・副会長などに話を聞くようにもした。そしてできるだけ多くの情報を仕入れ、あいまいな情報は数人の聞き込みで裏づけをして、全体を把握していったのである。

 しかし、これだけのことをやるとなると、わずかな地域でも何時間も歩き回らなければならなかった。そのため、13・14日と行なったが、遅々として進まなかった。

 こうした状況を受けて、本部も業を煮やしたのか、数日中にこの作業を終わらせるよう指示があった。これは、遅くなればそれだけケアも遅れてしまうのだから、仕方のないことであった。そこで、ボランティアを総動員して、午前も午後もこの作業を行なうことにした。

 方法としては、人数の関係から、2人1組とするいくつかのチームに分かれ、それに合わせて、地区も、住宅が多いところは狭く、工場が多いところは広くするなど、適当な広さに分割した。そして、拡大した地図などを使って、1日何時間も聞き込みをし、それぞれ与えられた地区の把握をするように努めた。また、時には水運びの手伝い等もしていたから、この作業は非常に辛いものであった。

 こうして、15日から集中的にローラー作戦を敢行し、3日かけてようやく担当の地区を終えることができたのである。

ローラー作戦の図
ローラー作戦の進行状況

 ケアの対応

 これに対して、ケアの方も様々な活動に追われた。

 まず13日からは、ケアが必要な人の所を訪問するとともに、先の調査で不要と考えられた所も再度訪問して、本当に必要でないのか再確認を行なった。なお、訪問時には自治体から情報を得たり、避難所になっている魚崎中などからも情報を得るようにした。また帰ってからは、訪問先の状況や処置事項などについて記録をつけることとし、松下と共通の巡回記録用の用紙を使って記入するようにした。そして、それをもとに、ミーティングで翌日の訪問先を決めていった。

 訪問の際には、初めは何かしてほしいことはないかと聞いたりして、食料を届けたり買い物をしたりしていた。だが、そういったことは近所の人が行なっている場合が多いため、積極的に行なうのはやめて、もっと他に必要なことをしようと考えた。そんな時、ケア対象者と話していると、お風呂に入りたい、という希望が多く聞かれた。震災より1ヵ月近く経過していたが、体が不自由なため銭湯にも行けず、入浴できないでいたのだ。そこで、13日にさっそく本部に入浴サービスを実施するよう提案したところ、本部もこれに大いに賛同し、17日頃、長崎からのボランティアの協力のもと、実現されることになった。

 また、ケアは独り暮らしの老人を主な対象としていたが、実際に訪問してみると、それ以外にも老人夫婦や老人を抱えた家族、身体障害者を抱えた家族など、困っている人がかなりいたので、そういった人たちもフォローしていくことにした。そして、車イスが置いてあったりした場合は、一度訪ねてみることにした。

 他方、ローラー作戦で見つけた人については、ミーティングで話し合いをし、必要そうであれば翌日のケアの訪問リストに加えてフォローした。そして、訪問後も必要であると判断すれば、継続フォローを行なっていった。しかし、ローラー作戦が本格化すると、ケアの時間が減らされ、その分ローラーの作業に回されることになった。

 そして、それと同じ時期の14日に、本部より校内のケア必要者の有無および実態について質問があったので、その対応にも追われた。校内のケアについては、医務室の医師や保健師が担当していて、特に保健師は館内巡回をして、必要なケアを行なっていた。ファミリーとしては、在宅ケアを校内にも生かしていければ良いと考えていたので、保健師と協力して、医療に加え各種介護サービスをできるようにすることが望ましかった。そこで、後日保健師と協議することになった。

 このようにして、ケア対象者が少しずつ、しかし着実に増えていった。そしてその内容も、力仕事だけでなくより被災者のニーズに見合った活動が行なわれるようになった。こうしてケア部門は、ファミリーの活動の中で最も重要な位置を占めるようになっていったのである。

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