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連隊館震災ボランティア第 I 部 活動の軌跡
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震災ボランティア:第 I 部 活動の軌跡

1章 救援!

2.組織化の進展

 希望者の殺到

 一方、国立の方でも組織作りが着々と進んでいた。

 1日に朝日新聞に記事が出ると、まもなくボランティア希望者からの電話が鳴り出した。市内市外を問わず、また学生、主婦、定年退職したサラリーマンなど職業も年齢も様々であり、予想以上の反響であった。そこで、これに対処するためにまず電話受付票を作成し、希望者の氏名、住所、電話番号、ボランティアの種別(現地での活動か国立での支援か等)、行ける予定の日時などを書き込めるようにするとともに、受付票用のファイルを用意し、現地活動中・待機・未決・東京サイド支援・帰任の5つに分けて管理することとした。そして、電話での受付手順のマニュアルを作って、待機者に連絡をするなど、しっかりした対応が取れるようにした。

 そんな折、水谷詩帆がファミリーに駆けつけてきた。彼女は普段から国立周辺で介護などのボランティア活動をしている学生であり、来年度から全国社会福祉協議会への就職も決まっていた。そんな彼女にとっては、震災ボランティアはむしろやって当然と言うべきものであった。

 この時には、スタッフは少なく、体制も全く整っていなかったので、坂本らは有能な助っ人に大いに喜んだ。そして、さっそくより多くの人に活動を知ってもらうためにポスターとビラを作ってもらうことにしたが、ファミリーにはワープロも何もなかったから、手作りでやることになった。途中、キャッチコピーなどはいろいろと議論になったが、結局、わかりやすくインパクトのあるものにしよう、ということになった。こうして「阪神大震災へ 国立からボランティアに出かけよう!」と題するチラシが出来上がり、早速コピーをして、ファミリー前や市立図書館、一橋大学、市内の掲示板十数ヵ所などに貼りに行った。

 また、活動に共感して個人的にカンパしてくれる人も現れた。ファミリーの手話グループからも支援金が寄付されるなど、1日だけで6万円以上も集まった。

 こうして、とりあえず事は順調に運んでいった。

チラシ「阪神大震災へ 国立からボランティアに出かけよう!」

 長期的な活動を

 翌日には水谷が知り合いの土志田隆を連れて来るなど、支援体制もますます充実してきて、もはや当面は派遣が滞ることはないと思われた。そこで、今後の長期的な方針についても考えることにした。

 ちょうどこの頃、1日だけやって帰ってしまうようなマンパワーのみのボランティアが、仕事の継続性などから問題となっていた。そうした失敗を繰り返さないためには、組織作りをさらに進めるとともに、一刻も早い現地の復興に向け、長期的な視点に立って本当に必要な援助活動を行なうことが必要であった。そこで、現地の状況によって変更するとしても、とりあえず震災から半年に当たる8月までを目途に活動していくことにした。そして、それに見合った組織作りを始めることになった。

 まず派遣にあたっては、原則として事前に事務局の方に来てもらうことにした(ただし6日までに派遣された3人については、時間がなかったので行なわれなかった)。そして、水谷がワープロを持ってきたこともあり、「参加案内」を作成して、それをもとにこちらの活動の基本的な考え方や目的、現地の様子などを説明し、ボランティアとしての心構えをしっかり持ってもらうように努めた。さらには、派遣者の数がよくわかるようにと派遣ローテーション表を作り、それぞれの日程が決まり次第、一定人数までどんどん埋めていった。また、派遣者が円滑に活動に入れるよう地図と交通案内を作って渡すことにし、鉄道の復旧などで現地の状況が変わり次第、改訂もしていった。

 そのうえ、今回の目覚ましいボランティア活動に鑑み、ボランティア保険が特別に地震・噴火・津波に起因するものでもその対象とされ、しかも全額ボランティアセンターの負担で行なわれることになったので、ボランティアの万一の傷害を補償するために、それに加入することとした。

 また、国立市ボランティアセンターにお願いして、ボランティア希望者が訪ねてきた場合、すぐにでも行きたいという人にはファミリーを紹介してもらうようにもした。それに、震災ボランティアとして活躍している他団体の報告会等も聴くようにして、できるだけ情報収集をするよう努力した。

 さらに、現地から報告が送られてくるようになってからは、支援金を寄付した方々に対し、活動状況を報告していこうと考えた。そこで、役所の兼松氏にお願いして、機関紙『国立から』を週刊を目標に作成してもらい、2月5日から支援者に配布を始めたのであった。

 「現地報告会」

 こうした組織化の流れの中で、7日の夜には、6日まで現地で活動していた3人を呼んで報告会を実施した。これは「ファミリー」の中で行なわれたが、これから行く人や普段からファミリーに出入りしていて興味を持っている人など、報告者も含めて総勢14名が参加した。

 この中では、まず物資の搬入や水運び、食事の配給といった現地での活動内容が説明された。そして感想として、そうした活動を通じて楽しかったこと、辛かったこと等をざっくばらんに話してもらった。その中で、楽しかったこととしては、仕事をしてお礼を言われたことや他のボランティアや被災者の人たちとの交流が深まったことなどが挙がっていた。一方辛かったこととしては、物資の搬出入や夜警、トイレ用水の運搬などが挙がっていた。また、これからボランティアとして出かけるにあたっては、長靴、ナイフ、ハンドクリーム、スリッパ、懐中電灯、寝袋、防寒着、ドライシャンプーなどが必要であるとか、今後13日より学校が始まるとか、500人の避難者のうち7~80人が高齢者であるので、その面でのケアが必要になってくるのではないかといった貴重な話も聞けて、とても有意義な報告会となった。

現地報告会の写真
「現地報告会」の様子

 さらなる発展を目指して

 その後も、事務局では3~4人のメンバーが中心になって組織的な派遣体制作りを進めていった。特に、今後の長期的な体制作りのためにはまだまだ資金が不足していたので、資金集めをして事務諸経費を捻出する必要があったのである。そこで「支援金のお願い」と題するチラシを作成し、国立市役所や市内の事業所などを回ってカンパの要請をした。幸い、市役所の有志の方や個人の方が快く応じて下さったので、当面の資金は確保することができた。しかも、それから後、国立市社会福祉協議会から特別事業助成金を戴けたので、中期的に見ればなんとかなる状況にいたった。

 広報活動の方も、新たに東京女子体育大学や都立国立高校等の掲示板にビラを貼ってボランティアの希望者を募った。そのうえ、10日には朝日タウンズの取材も行なわれ、後日紙面に取り上げてもらえることになった。

 また、派遣者にはボランティア保険への加入を行なっていたが、それに対して、団体としての責任の所在を明確にするために、ボランティア活動で事故などにあってもファミリーに対して責任を問わないこととする誓約書も書いてもらうことにした。そして、それに伴い、危険な作業でケガをしてもファミリーでは責任を負えないので、そのような仕事は請け負わないよう注意することにした。こうして、保険の範囲以上のことは自分の責任で対処することになったのである。

 この他にも、電話受付票を新しく作り直したり地図を見やすいものにするなど、改善を図っていった。そして、ますますしっかりとした体制になっていったのであった。

 もう一度行きたい!

 ところで、7日に帰ってきていた吉川文隆は、しばらくするとまた魚崎に行ってみたくなった。確かに仕事はきつかったが、それ以上に充実感があったし、何より向こうでたくさんの友達ができたので、また会いたくなったのだ。そう思っていた矢先に、もうすぐ国立市の職員組合の人たちが、ボランティアとして神戸に向けて出発するとのことであった。それを聞くと、彼は迷わず行く支度を始めた。そして、その車に乗せてもらい、一路神戸に向かったのであった。

 しかし、そこには思いもかけぬ出来事が待っていた。

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